なぜ「憲法改正」は難しいのか? 知っておきたい戦後近代史(1)

マッカーサー 世界共通
この記事は約6分で読めます。

大国の戦争は【総力戦】で、相手の国体をとことん潰すもなので、降伏後にはローマ帝国から何度もの戦争を切り返した歴史は、負ければ殺されるか、奴隷となる運命で負けた国の人々は悲惨なのは世界の常識である。日本は、天皇陛下に何かあれば国民総出で死ぬ覚悟。とポツダム宣言を受諾するのに時間がかかりその間に原爆を投下された。天皇陛下の「玉音放送の原文」には、このまま陸上戦を戦えば大和民族を絶滅させてしまい、2000年続く過去のご先祖、天皇に何て申し開きができようか。自分の首を差し出しても、国民を守らなければならない。と苦しい胸の内が書かれています。当時6000万の国民に対し8000万とマッカーサーにサバを読み、餓死しないように食料を与えてほしい。自分の戦争責任は私1人の首を差し出す。と話したのは有名な逸話です。

ポツダム宣言には、日本人を奴隷化しない事など言論の自由、宗教の自由などが条件に入っていた。しかし、実際にマッカーサーが上陸した瞬間、これらを守ることはなかった。強姦殺人、強奪、が繰り返された。

すでに国際法は破られていた。欧米列強に刃向かった小国日本は「植民地にならない」と欧米の脅威に必死に抵抗した。国内の戦国時代から明治維新へ、そのまま世界の戦国時代に巻き込まれた。世界は欧米列強(白人による支配者が大国となっており、大国の理屈は、奴隷が農作業し支配者が豊かに生活するという思想で、奴隷は黒人だった。日本人は黄色人種でサルと呼ばれ動物と同じ扱いだった)が支配していた。日本は世界のどこかの属国になるまい。と努力したがその大きな脅威は、隣の共産国ロシアだった。

日本は国として認められれるために、軍隊(陸軍、海軍)、民主主義の憲法を作ったが、作るのもイギリス、フランス、ドイツ、アメリカ、ロシア、大国に学びながら防衛する必要に迫られた。日本はかなり背伸びをするしかない。金、貿易する物がこれと言ってなかったので、貧乏だったが根性(プライド)だけは大国に負けてはいなかった。

坂の上の雲」はそんな農耕民族日本人が、大国の仲間入りする奇跡が描かれた物語(時代背景はその通り)です。ソースコードを差し引いて見る必要がありますが、現在の日本はここから始まり、またここに戻っているという意識が重要と考えます。https://youtu.be/sqhCtr15FQE

10年以上かかった憲法を、変えなければならなかった経緯を知るためには、大東亜戦争敗戦からの新憲法ができてから現在までの歴史を見た上で考えたいと思います。

大国同士の戦争は総力戦だったため、日本の国体を潰し二度と歯向かうことがないように考えられた。日本軍は相手が恐ろしいと思うくらいに世界最強だった。原爆投下、東京空襲、憲法改正、公職追放、農地改革、貨幣制度改正、検閲(報道だけではなので共産政策)宗教の自由、教育制度、教育方針などを戦勝国が強制したのは国際法違反である。マッカーサーは、最後までやりすぎたのである。

7年間の占領政策は、最初の3年、スターリンの脅威と気付いた(朝鮮戦争)4年と変わる。やりすぎて後期4年は朝鮮半島危機で米国が気付いたことです。日本が共産主義になってしまうと本末転倒となるので、次第に緩やかになっていきますが既にやりすぎていました。

マッカーサーは大統領にまでなろうという野望があった。フィリピン占領時に日本軍から逃げた自己の経験から、個人的な恨みが先行しいていまいした。この戦後の、占領政策を詳しく知らなければ理解できません。

マッカーサーが何を強制したのか。これらを正確に知ると、国際法違反でマッカーサーが押しつけた日本国憲法は無効が妥当だとわかります。憲法改正は、明治憲法(世界の民主憲法はイギリスを模範としている)を現代に置き換えて改正するのが正しい。わけです。

正確に教えてもらえるのがこちらです。(CGS じっくり学ぼう日本近現代史 倉山満先生)

第12週6話敗戦〜御聖断、下る【CGS倉山満】

敗戦までの経緯は飛ばして、敗戦後の日本の占領政策に焦点にあてます

【ポツダム宣言】受諾というのは、降伏に関する条件を飲んだということなので、無条件降伏は間違い日本軍だけは無条件に降伏する。このポツダム宣言の中には、日本人を奴隷化しない、言論、宗教の自由は保持する。などの条件が入っていました。大国同士の戦争は、総力戦といい敗戦した日本の総力を潰すという占領政策は、甘いものではなかったわけです。枢軸国は正しいというマッカーサーによる占領政策を具体的に知る必要があります。(ポツダム宣言の重要な部分はのちに)

占領軍で来日した「マッカーサー」は、連合軍ポツダム宣言を無視。個人でフィリピンに利権を持っているとされるが、太平洋戦争の初期、フィリピンで日本軍に負けて追い出されたため、個人的な恨みがあった。この功績で大統領になる野望もあったがので、民主化という口実で日本を実質、独裁した。

以後、メチャクチャに荒らす。植民地として占領した、敗戦国日本の悲惨さはここでは避けますが「耐え難きを耐え忍び難きを忍び」天皇陛下の言葉通りに国民は耐えたわけです。尊き日本軍人によって日本領土は分断されなかったが、教育、公職追放、などで精神は分断された。マッカーサーの思想は反共だが、日本に共産主義者をばらまき放置(現在も反日が多い)したのは、そのくらいが丁度良い。という勝手な意識であった。

占領軍慰安所(SEX ハウス)の設置(強姦事件が、1300件発生した)

東京裁判自虐史観を植え込むための、復習ショー)新しい勝者が敗者を裁く事後法。最初から判決は決まっていたが、国際法を知っていたインドのパール判事(靖国神社にある)に同感とする判事もいてる。

米国の弁護士の中でも「平和に対する罪」で裁く権利は(原爆を落とした人間、司令官の名もわかる)ないと、真剣に弁護する人もいた。「都合が悪いことは通訳されない」東京裁判は、復讐ショーとして世界は見ているのが常識だが、多くの左翼の批判材料にするが、靖国参拝(戦没者慰霊)もその1つでネタ切れになると何か探す。(朝日新聞など)

プレスコード(30項目)禁止用語、悪口など、マスコミを含む全てを検閲する。今でも残るプレスコードで、教科書なども変わった。

旧紙幣の禁止(紙幣に新切手を貼ったもののみ)世帯主300円、家族100円で預金は没収。

皇室(11宮家、51名)を廃止した。(日本の弱体化)これは日本の根幹、女系天皇論を容認する政治家は隠れ共産主義。終戦直後のみ短期間首相を務めた、東久邇宮稔彦王(ひがしくにのみやなるひこおう)は辞任した直後に自ら臣籍降下を昭和天皇に願いでた。直接の原因は、GHQにより皇室財産を国庫に帰属させたことで従来の皇室の規模を維持できなくなった

この時、宮内庁は以下のように残している。(男系男子が続かなかった場合、国体を守るため)

農地改革(地主から土地をただ同然で取り上げる)農地調整法。

公職追放(戦前の全てを否定)

日本国憲法制定(最初は誰もが憲法を変えるつもりはなかったが徐々に圧力をかけた)ポツダム宣言を受諾して降伏を宣言した条件とは何か。

大日本憲法は、英国から引用して日本に合うように10年間かけて制定された、民主主義憲法なのでこれを変えるつもりはなかった。

帝国憲法を改正すれば良いと改正の論議になった。

松本はGHQにも知らないところで、秘密裏に帝国憲法の改正案をまとめていた。

マッカーサーの原案、三原則を元に、ケージス(GHQ)ゴードン(23歳)が一週間かかった。ロシア政府も関わったと現在ではされています。

こんな憲法を発表したら国際社会に恥をかく、何とかマッカーサーと交渉してほしい。と言われて幣原が交渉した。

この後、憲法改正に対し必死の抵抗する戦いがあった。

(2)に続く

タイトルとURLをコピーしました