【第二次世界大戦】アップデートして、共産主義の恐怖を知る。

近衛文麿 世界共通
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日独伊三国同盟を締結したあと、独露同盟は結ばれ支那事変、対米戦争となっていくが米国との戦争など予想もしていなかった。ゾルゲ事件で逮捕された尾崎秀実が考えた用語である。プロパガンダ「鬼畜米英」終戦後、75年たった現在、国連の常任理事国に(ロシア、中華人民共和国)がいる。当時は、中華民国、ソ連の 2カ国だった。この大戦の勝者はたいして戦わずに地位と金を手にした。

中国はプロパガンダが上手い。いつの間にか日中戦争とするが、日本軍は蒋介石軍と支那事変まで戦ったが、蒋介石はそのまま逃亡した。ソ蓮は崩壊したのでロシア表記になった。日本、ドイツは敵国条項のまま残される。

ゾルゲ事件(ゾルゲじけん)は、リヒャルトゾルゲを頂点とするソ蓮のスパイ組織が日本国内で諜報活動を行っていたとして、1941年9月から1942年4月にかけてその構成員が逮捕された事件。この組織の中には、近衛文磨のブレーンとしてを推進した元朝日新聞記者の尾崎秀実もいた。近衛首相の側近は大掛かりな、ソ連のスパイネットワークがあった。

第1次近衛政権 1937年〜 357日 内閣発足の1か月後に勃発した盧溝橋事件 拡大方針を見送ったが広がる。1940年7月22日〜 (362日) 米内政権(6ヶ月)第2次近衛内閣は、新体制運動日独伊三国同盟に消極的であった米内内閣のあとを受けて、新体制運動の主導者であった元首相・貴族院議員の近衛文麿が組閣した内閣である。組閣直後の昭和15年(1940年)7月26日、「大東亜新秩序建設」(大東亜共栄圏)を国是とし、国防国家の完成を目指すことなどを決めた「基本国策要綱」を閣議決定する。

同年9月27日には日独伊三国軍事同盟を締結し、同年10月12日に新体制運動の指導的組織となる大政翼賛会を結成。翌昭和16年(1941年)4月13日には日ソ中立条約を締結した。(この後、露は独と同盟)

同年7月16日に、松岡外相を外すことを目的とした内閣改造を断行するためにいったん内閣総辞職した(大日本帝国憲法では首相には閣僚の罷免権がなかった)。

第2次近衛内閣において外交策に強硬論を唱え、閣内にあって暴走状態にあった松岡洋右外相更迭は、政権存続のための急務となっていた。しかし松岡に辞任を迫っても彼がすんなりとそれに従う保証はなく、むしろ閣内不一致を訴えて内閣と無理心中をするのではないかと危惧した近衛は、一計を案じて全閣僚から辞表を取り付けると参内していったん内閣総辞職の形式を取り、その場で改めて天皇から大命降下を受けた後に松岡を外して第3次近衛内閣を発足させた、事実上の内閣改造である。10月14日  同日、ゾルゲ事件の捜査が進展し、近衛の側近である尾崎秀実が逮捕され、ゾルゲ事件に近衛自身までもが関与しているのではないかとの観測すら窺われるに至って近衛の退陣は不可避とされ、翌15日には東條・近衛とも次期首班に東久邇宮稔彦王を推薦するが、それに木戸幸一内大臣が難色を示し未だ後継が定まらない16日に近衛は総辞職してしまった。第3次内閣は約3か月で終わったこととなる。なお国策遂行要領については、次期首班に選ばれた東條に対する大命降下の際に、昭和天皇から「白紙還元の御諚」が言い渡され、一旦白紙から再検討することとなったため、開戦決意の期限もとりあえずは消滅した形となった。

近衛は、昔から社会主義思想の要点を学び、深く共鳴している事、昭和研究会を尾崎秀実と公の政治研究会としたとき、多くの有名な共産主義者がいたので多くの疑惑もある。

地球の4分の1、くらいの範囲で戦争するとはあり得ない戦争は作戦もない戦争だった。

ヴェノナ文書 https://bit.ly/2Rzod5d 暗号文解読から複数の日本へのスパイ工作と氏名を公表。

後年解読された暗号電文を元に様々な研究が行われた結果、1930年代から第二次大戦後の1940年代末までに米国国内の政府機関、諜報機関、軍関係、民間組織などに数百人単位のソ連のスパイ、スパイグループ及びスパイネットワークが存在し、当時の米国政府の政策や意思決定をソ連有利に歪め、世論などがこれらの様々な工作活動によって多大な影響を受けていた間接侵略の可能性があることが明らかになった。、アメリカ政府内にソ連の諜報活動網を構築していたことを指摘した。その内容と、当時財務次官補の要職にあったハリー・ホワイト太平洋戦争ハルノートを草稿した人物)が「Jurist(ジュリスト)」「Richard(リチャード)」というコードネームを持つソ連のスパイが判明した。

  • 1930年代~1940年代の米国政府機関、米国内の民間シンクタンク、民間平和団体、宗教関連団体、出版社などが事実上ソ連に乗っ取られていた事が判明。第二次大戦時の米国の政策決定の多くをソ連の意図に基づいて歪められていた間接侵略の可能性が浮き彫りになる米国政府機関内部にはウエアグループ、パーログループ、シルバーマスターグループ(ヘンリー・モーゲンソウ財務長官(当時)の周辺を固めていた財務官僚中心のグループで事実上モーゲンソウ財務長官の意思決定に大きく関わっていた)
  • OSS、司法関係を含む多くの主要官庁及び軍組織に多数のスパイとスパイグループ及びスパイネットワークが存在し、米国政府の様々な機密情報がソ連に筒抜けになっていた。これら数百名単位のスパイ及びスパイグループは機密情報をソ連に流していただけではなく、米国政府の政策決定に大きな影響を与えるいわゆる影響力工作を行って米国の政策や戦争の推移がソ連に有利になるようにモスクワから米国を操っていた可能性がある事がわかった。
  • 民間ではIPR、いわゆる太平洋問題調査会が、1930年代からソ連コミンテルン系のスパイと蒋介石配下の中国系スパイ等によって乗っ取られ、パシフィック・アフェアーズ等の雑誌を通じたプロパガンダ(上海南駅の赤ん坊も参照)によって米国政府関係者などに”好戦的な日本観”を植え付け、中国大陸における日本の行動を非難して米国世論を対日戦へと誘導し、ABCD包囲網対中支援および対日経済制裁などの対日強硬策がとられた。
  • YMCAや複数の平和運動団体もこれに同調して批判的対日世論を盛り上げたが、これらの動きの背後にはソ連コミンテルン及び中国共産党系のスパイの活動が大きく関わっていた事がわかった。当時のソ連の工作はアメリカ国外にも及び、対中国では中ソ不可侵条約の締結と在華ソビエト軍事顧問団ソ連空軍志願隊の派遣を行い、中国軍の対日作戦に影響を与えた。
  • また、日本国内ではゾルゲ諜報団尾崎秀実らの工作が行われ、日中戦争の講和を阻害するとともに南進政策仏印進駐)へ誘導し、結果太平洋戦争へと繋がった。

新聞社等スパイによる世論工作[編集]

ミトロヒン文書によると、『日本人は世界で最も熱心に新聞を読む国民性』とされており、『中央部はセンター日本社会党の機関誌で発表するよりも、主要新聞で発表する方がインパクトが大きいと考えていた』とされている。そのため、日本の大手主要新聞への諜報活動が世論工作に利用された。

冷戦のさなかの1970年代、KGBは日本の大手新聞社内部にも工作員を潜入させていたことが記されている。文書内で少なくとも5人は名前が挙がっている。

  1. 朝日新聞の社員、暗号名「BLYUM」
  2. 読売新聞の社員、暗号名「SEMYON」
  3. 産経新聞の社員、暗号名「KARL(またはKARLOV)」
  4. 東京新聞の社員、暗号名「FUDZIE」
  5. 日本の主要紙(社名不詳)の政治部の上席記者、暗号名「ODEKI」
「大東亜戦争の真実」より

本当の戦犯は、近衛文麿、山本五十六、ソ連のスパイ(コミンテルン)、共産主義スパイは世界中にいるし米国もやられていた。開戦するしかない状態で交代した東條英樹は、戻れない状況だった。人種差別変人フランクリン・ルーズベルト、悪のチャーチル、格上の悪だった。しかし負け組の中だった。もちろん高笑いしたのはスターリンです。騙されて世界に迷惑をかけたのは、近衛文麿、乗せられた実行した、山本五十六(乗せられたとはいえ自分も死んだ事に変わりいない)

近衛文麿は、鎌倉時代の公家の名家生まれで、後陽成天皇の12世孫(皇別摂家)12歳で近衛家当主になった。父が残した多額の借金をも相続することになった。母親を知ったときのショックは大きいとあるので、隠がある反抗的な性格と自ら記述している。学習院を避けて、一高の校長だった新渡戸稲造に感化され一高に進学した。東京帝国大学哲学科、マルクス経済学の造詣が深い経済学者で共産主義者であった河上肇や被差別部落出身の社会学者・米田庄太郎に学ぶため、京都帝国大学法科大学に転学した。

家柄が良い学識の高い人に多い「共産主義思想」は、西園寺公も同様です。

蒋介石と支那事変を手打ちにするように、お膳立てしたが断られた石原莞爾が怒って言った「二千年にも及ぶ皇恩を辱うして、この危機に優柔不断では、日本を滅ぼす者は近衛である」

因みに、日中戦争(支那事変-北支事変-陸軍、上海事変-海軍、突然発砲された殺人事件の延長)という言葉はありません

戦争したと言うプライドなのか?中国の意地なのか?価値観が違うのでわかりませんが、彼らがいつも狙うのは一般人で無抵抗の人。日本軍は日清戦争の時、数時間で陥落させるなど負けたことがありません。特に欧州は戦争ばかりやっていたのでずる賢い、フランスなど、負けた方が多いのに今も大国の一角として堂々とやっています。1番上の地図で見るようにあれだけの範囲で、最初の6ヶ月でほとんどを陥落させました。それ以来、最強の軍隊だったので、内なる敵に陰謀でやられたのです。

山本五十六は負けるはずのない戦争で負けた。

林千勝 【大東亜戦争の真実】に全て書いてあります。

自由主義国は、アメリカは戦争で予想の10倍も消耗した。毛沢東は、日本の捨てた武器を使い蒋介石を追い出した。

これを学習していれば個人的にも、同じ失敗はしないでしょう。共産スパイに知らずに乗った人もいると思います。近衛文麿が作った【大政翼賛会】は日本国を社会主義思想に染めるためです。現在では、ソ連は崩壊、東西ドイツ統一、ベトナム戦争終結と平和になったのは、束の間、まだ危ない国はありまた巻き込まれるかもしれません。日本の社会主義国化に失敗したのです。

軍隊がない国は、占領されるのが常識なのです。

この戦争の勝者、ソ連、です。(共産主義は危険)全体主義は最近の日本も危ないと思います。

結果は【原因】から生まれます。しかし原因を知らないと、また同じ失敗を重ねます。

最後までお読みいただきありがとうございます。

「大東亜戦争の真実」を語る新番組スタート!【CGS 林千勝 大東亜戦争の真実 第1回】

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