なぜ「憲法改正は難しいのか?」知っておきたい戦後近代史(2)

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第3週3話金森徳次郎、国体を守るための戦い【CGS倉山満】

吉田茂は、マッカサーノートの通り発言した。

これまでの司法試験、憲法学の権威である「清水博士の答えが常識だったほどの影響力があった。「天皇陛下をないがしろにする者が増えてきた。私はこのようなものは我慢できない」と憲法と殉死。

マッカーサーの落書きを、苦労してなんとか現在の条文に仕上げた、金森徳次郎。

マッカーサーは、本国にバレると正当化できないと熟知していたので必死に「日本が自ら制定した憲法だ」と擦り込む。フィリピン利権、大統領の夢があった。本国での知名度は薄かった。

ここまで揉めた、マッカーサーの憲法押し付けに便乗した裏切りによって成功してしまうことになる。

3人の売国奴が、現在も権力を持ってしまうことで「憲法論議」はできないことになる。

現在も残る、司法試験、公務員試験に「宮澤俊義」の答えを書かなければならないほどの権力を持った。「宮沢説」今でも試験で使われる負の遺産を残した。

横田喜三郎は、その後の最高裁長官にまで登りつめる。(後に、当時に自分で書いた本を古本まで回収した)マルクス主義者として知られる。

最終的には「押し付けた憲法」ではないという証拠となってしまう元凶となる。

この後「民主化」という偽善で、言論弾圧、占領政策が正当化される。

丸山真男は、丸山の学問は「丸山政治学」「丸山思想史学」と呼ばれ「大塚史学」と並び称された。日本学士院会員で、この機関は学術会議とは別の国際機関である。

最近、菅政権で問題になった「学術会議」も同様の集団で、内閣府で内閣に提言できる存在です。マッカーサーが解き放した、共産主義者は「東大」多く教授として要職につくことになり現在に至ります。以後、革マル派、日本赤軍などの危険分子として、数々のテロ、暴力行為を起こす集団までできる。

東京大学から教授になるまでに、優秀な人、まともな考えを持った人は普通に就職して卒業します。外に出ずに大学から、そのまま公務員になれば権力をの手にすることができます。左翼思想の教授が育てた教授は自分より劣った人を後継に選ぶことになり、これが75年続くとレベルの劣化がより低くなり一般人からは乖離した人間が発言力を持つ事になります。弁護士会会長、学者、に左翼思想が多いのはこのような理由からです。

またレベルの低いキャリア官僚、政治家、学者が大きな発言権を持っています。この考えの差は世論と真逆になっていきます。マスコミの劣化もまた同じになっています。

憲法改正できない理由は、公職追放でまともな憲法学者がいないということもあり、教授になるまでに脱落してしまうわけです。

真面目な日本人の特性は悪い方にも働いてしまうわけです。

かくして、占領軍の目的は大成功してしまうことになります。

これら「日本を敗戦国のままにする」は、安倍元首相が「戦後レジームから脱却」と名付けてまだ戦争は終わっていないこと、明治維新はまだ終わっていいない。と言い方をする歴史学の先生もいます。

脱却の道は、「教育」を戻し「愛国心」を戻す必要があります。これは米国も同様です。世界の民主主義国家は、75年の平和が続き同じように劣化していきましたが、共産国の恐ろしさを忘れていました。これは、共産国が、経済だけを民主化する政策(投資を呼び込み金を回収する)が世界を欺いたことが上手くいったことが大きいわけです。

世界が目を覚ました現在、日本も目を覚ます必要があります。戦争と平和は交互にやってきて、弱ければ殺されるというのは昔も現在も全く変わらないという事です。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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